2006年1月17日(火)
阪神・淡路大震災11年メモリアル集会
被災地のいまをむすぶ
                         於・神戸市私学会館
 
司会 高山忠徳(兵庫県保険医協会) 桜井文子(新日本婦人の会兵庫県本部)
                            13:30〜13:35
 主催者挨拶    合志至誠(復興県民会議代表委員・兵庫県保険医協会名誉理事長)
                           13:36〜13:43
 全国災対連代表挨拶
                           13:44〜13:51
 来賓挨拶     高橋千鶴子(日本共産党衆議院議員)13:52〜13:59
 来賓挨拶・メッセージ紹介(司会者)         14:00〜14:09
 記念講演 多発する自然災害と災対連運動 永田勝美(全国災対連事務局長)
                           14:10〜14:50
休憩(15分)                    14:51〜15:06
 文化行事 被災地12年目の唄 もりた あきら 
      今も時を刻む、悲しみ、苦しみ、怒り
     コミュニケーション・2006神戸から(2曲)15:07〜15:17
 
 被災地のいまを結ぶ
      被災12年長田のケミカル業者の歩み  戎 シズ子(ケミカル業者)
                           15:18〜15:33
      三宅島帰島者・未帰島者の現状     寺本恒夫(三宅村会議員)
                           15:34〜15:49
      台風23号災害復興・治水対策ー但馬からの報告 森垣 修(但馬住民の会)
                           15:50〜16:05
      中越大震災1年の現状         宍戸末雄(新潟災対連) 
                           16:06〜16:21
      震災11年・復興住宅高齢者の今    安田秋成(被災者ネットワーク)
                           16:22〜16:37
      大震災11年被災地からのアピール  提案・採択 荻野潤子
                           16:38〜16:45
閉会挨拶  
          前田 修(復興県民会議代表委員・神戸合同法律事務所長))
                           16:46〜16:53
 
 
 
多発する自然災害と災対連運動=いまこそ「災対連」を全国に=
全国災対連事務局長 永田勝美
1.はじめに
 災害発生から1年以上を経過した中越大震災の地元では、2005年9月現在で2,812世帯9,000人以上の方々が仮設住宅での生活を続けており、そのうち半数は2006年末までには仮設から退去できる見通しがないと答えています。多くが「住宅再建の見通しがない」と応えており、あらためて、被災者生活再建に対する公的支援の抜本的強化が急務となっています。
 2004年末のスマトラ沖大地震と大津波、2005年3月20日は福岡県西方沖地震が発生し、10月8日にはパキスタン大地震などが発生し、世界中どこでも大規模災害に襲われる危険があることを示しています。 
 2005年、台風14号による大規模な被害を受けた宮崎県では死者13名、家屋被害では全壊1,030戸、半壊2,679戸などの被害に対して、県の独自支援は全壊世帯に上限20万円の見舞金支給にとどまっています。
 2005年全国フォーラムで指摘したとおり、災害発生時の救援活動、避難所への支援、住宅再建支援、営農・営業再建支援など国民生活と地域コミュニティ再建への支援が依然として貧弱であり、場当たり的な水準にとどまっています。近い将来発生することが不可避といわれる東海大地震や首都直下地震などに対する防災も遅々として進まず、住宅の耐震改修支援なども自治体任せ、個人任せという状況であり、現状は「減災」どころか「増災」をもたらす危険が依然として続いているといわざるを得ません。
 首都直下地震の被害想定が発表され、防災帰宅マップがベストセラーとなるなど国民的関心は大きく高まっています。一方で、建築確認すり抜け・耐震強度偽装事件が明らかとなり、マンションをはじめとして建築物・構造物の安全性が根本から問われる事態となっています。さらに、豪雪による被害が全国にひろがり、実態に即した支援が求められています。いまこそ、あらためて災対連運動のひろがりが求められています。
 
2.全国災対連のこの間の取り組みから
(1)中越大震災復興支援の取り組み
 新潟では2004年10月の地震発生以来救援活動の中心を担ってきた、県労連、農民連、民商、民医連、新婦人、生健会、民青などの団体に加えて、地元商店会など幅広い人々が参加して、県災対連、長岡市災対連、小千谷市災対連をあいついで確立し、被災者支援とともに政府要請行動など公的支援の実現を求めてきました。3月27日には小千谷市で、地元市長やマスコミなども協賛するなど幅広い参加で県民集会を開催し大きく成功させました。
 全国災対連も全面的に支援し、6月21日、7月13日と連続して「中越地震復興を求める対政府・議員要請行動」が取り組みました。新潟からの代表69名をはじめ、兵庫復興県民会議や東京災対連、全労連・生協労連・全商連・農民連・全国保団連・全日本民医連などの中央団体からのべ93名が参加し、国土・交通、農林水産、内閣府、経済産業、文部科学などの各省庁への交渉を行いました。傾斜地の住宅地盤復旧や農地復旧の問題、商工業者の営業再建支援、学校施設の補修と修学支援・授業料免除延長など、被災地復興と地元産業復興、生活再建に関わる、幅広くきめ細かい要求をかかげて実情を踏まえた要請が進められ、授業料免除延長などいくつかの具体的成果も勝ち取られています。
 7月13日には政府要請行動とともに衆参両院の災害対策特別委員、新潟選出議員などへの要請行動を行い、引き続いて開催した国会内集会には共産党・自民党・民主党など各党の議員も出席し激励を受け、10万筆を超過した署名の引き渡しを行いました。
 11月5日には中越大震災一周年メモリアル集会が320人の参加で開催され、「生活再建へ展望のもてる支援制度の改善を求める」集会アピールを採択しました。
 その後中越地方は2005年12月以降、豪雪による被害がひろがっています。復興に向かう中での雪害に対して、あらたな公的支援は不可欠です。新潟県災対連では2月以降小千谷市への現地調査など雪解け復興に向けた取り組みが準備されています。
 
(2)三宅島支援の取り組みと課題
 2005年2月から避難解除となり「帰島」が開始された三宅島の問題も数多くの問題を抱えています。東京災対連では帰島に関わる個別の相談活動を行うとともに、各分野の専門家も参加して現地調査も2回にわたって実施するなどの支援活動を続けてきました。また、帰島の負担を少しでも減らそうと「引越ボランティア」の取り組みをすすめて、多くの島民から歓迎されています。さらに、帰島した住民の住宅再建の中で建設業者が不足し住宅再建が立ち遅れるという事態の中で、東京土建などが加盟する「全建総連」からのべ1,200人を超えるボランティアが島に渡って再建作業に参加し、復興の大きな力となっています。
 しかし、2005年8月末現在で帰島世帯は1,247世帯(67.6%)にとどまっており、未だに島民の3分の1が帰島できない状況であり、帰島の障害を取り除く取り組みが求められています。公的支援も、たとえば家屋の修理に対する支援制度は上限150万円という低額であり、しかも厳しい所得制限があるなど、島民の生活再建支援には数多くの問題が残されており、引き続ききめ細かな支援を実施することが急務となっています。
 
(3)福岡西方沖地震など各地の災害救援と海外の大規模災害支援
 2005年3月20日に発生した「福岡西方沖地震」は、マグニチュード7.0、震度6弱、死者1名・重軽傷者1,087名・家屋の全壊133棟・一部破損8,620棟の被害を出しました。とりわけ福岡市玄界島では全壊107棟・半壊46棟・一部破損61棟を出し、このほかにも市内西区・東区などに被害が集中しました。今回の地震では、玄界島島民の集団避難とその支援が続けられました。また、福岡市中心部を含むマンションの被害が全壊2棟・半壊9棟・一部損壊100棟、被害戸数は5,626戸におよぶなど、深刻な被害が報告されています。
 公的支援の問題としては、市民への制度の周知徹底が不十分な上に「所得や年齢制限がある」ことによって、被災者救援策の申込件数がきわめて少なく、同市の調査(2005年12月6日現在)によると、西区北崎や志賀島(東区)での特別制度への申請件数は被害住宅の3%未満、全市に適用される制度への申請件数は1.2%にとどまっています。
 さらに、全国から市に寄せられた義援金3億円の配分の問題、住宅応急修理の適用件数がゼロ(2005年6月現在)など現行制度がほとんど活用されないなどの問題が浮き彫りとなっています。
 
(4)各地の災害救援の取り組み、海外の大規模災害支援など
 2005年9月5日〜8日にかけて全国を縦断した台風14号は、死者・行方不明29人・重軽傷179人・住宅全壊1.178棟・半壊3,504棟・一部損壊2,770棟・床上浸水7,626棟という大規模な被害をもたらしました。とくに被害が集中した宮崎県では死者13名、家屋被害では全壊1,030戸、半壊2,679戸に及びました。宮崎県では新婦人・民商・農民連・日本共産党などを中心に被災者支援共同センターが設置され、被災者の相談活動を行い、県など自治体に対する支援対策強化を求める申し入れ交渉などの取り組みを進めています。
 この間、スマトラ沖地震・大津波やパキスタン地震をはじめ、海外での大規模災害が相次ぎました。とりわけスマトラ沖地震と大津波による被害は未曾有の規模となりました。災対連に参加する農民連・新婦人・全労連・民医連などでは全国募金を取り組み、それぞれ現地の関係団体を通じて、トラックを送る(農民連)医療器械を提供する(民医連)など積極的な支援の取り組みを進めました。また、農民連が加盟する「世界的な農民運動組織」である「ビア・カンペシーナ(農民の道)」が主催したシンポジウムにも、塩崎賢明氏に要請して参加して頂きました。
 その後、2005年10月8日発生したパキスタン地震も死者10万人を超える大規模なものとなり、未だに復興のめどは立っていない現状です。
 
(5)被災者生活再建支援法の実態と再改訂に向けた取り組み
 各地の災害支援活動を通して、あらためて「被災者生活再建支援法」の再改正の緊急性が明らかとなっています。
 被災者生活再建支援法は1998年に施行され、その後の改正を求めるねばり強い運動をとおして、2004年に改正されました。その意義は、生活再建・居住保障を目的に掲げた事であり、とりわけ住宅再建に対する公的保障がまがりなりにもはじまったという意味で重要です。
 しかし、厳格な収入要件、年齢要件、支援対象、支給限度額の低さ(全壊300万円・半壊100万円)などから、きわめて使いづらい、多くの被災者にとって使えない制度となっています。中越大地震では全半壊世帯17,143世帯のわずか9.6%(2005年9月30日現在.宮入興一)しか利用されていない現状です。上限額が100万円と低額ながら県の独自制度では75.7%が利用している状況を見れば、その問題点は明らかです。
 また、住宅などに大きな被害を受けた被災者にとって、支給限度額が住宅再建の実情に合わない低額にとどまっていることは、地域社会を担う中堅どころの被災者が二重三重のローン負担をかかえることにもなりかねず、地域の復興の障害ともなります。国は引き続き、「個人の財産形成につながるものに対して公の金を出すことはあり得ない」という論理に固執しています。そのことは、今回社会問題化している「耐震強度偽装事件」の被害者支援でも同様の立場であり、世論を結集して、なんとしても脱却すべき課題です。さまざまな補助金で結果的に個人の資産形成につながるものが多数あるなど、国の主張は論理的にも破綻しています。積極的に議論をおこして国民的な一致点を作り出すことが重要です。
 この間全国災対連は、中越大震災の支援活動とあわせて、全国に100万署名をよびかけ、対政府交渉・議員要請を行うなど取り組みを続けてきました。あらためて、全国災対連の第一義的要求課題として、取り組みを強めていくことが必要となっています。
 
3.国民的連帯、災害救援運動の歴史と災対連の結成まで
(1)災害救援の国民的連帯すすめた戦後の災害救援活動
 災害被災者に対する公的援助は、かつて「被災直後一週間程度の食事供与」程度であったといわれており、「災害救援・生活再建・復興」にはとうてい及びません。公的支援の拡充改善、被災者救援に向けた国民的連帯の取り組みは、古くから旺盛に取り組まれてきました。
 戦後1954年頃には「水害復興国民会議」が結成され、各地に「民水対」がつくられて活動しています。総評など労働組合各単産はその組合員の救援におわれ、市民や農民の救援にまで手が回らなくて、「民水対」の活動資金はその大半が、国民救援会をとおした中国人民救済総会、総評を通した世界労連、自由労連を通したアメリカ炭坑労働組合などからの国際援助に負ったと云われています。
 その後1959年9月26日に死者5000人、被害額2000億円を超える大災害となった伊勢湾台風が東海地方を中心に襲来し、愛知・三重・岐阜などで高潮と河川氾濫による被害が報道される中で国民的な救援運動が取り組まれました。その後、9月30日に総評本部に、自治労、全建労、全日自労、社会党、共産党、国民救援会、日協連、労福協、全日農の10団体が集まり恒常的な対策会議の設置の必要性が認められ「中央災害対策協議会」(後に中央民主団体対策会議と改称)が設置され、街頭募金・現地調査団の派遣・救援物資の郵送・各県での運動アピールなどが進められました。
 1972年には東京都地震対策への提言」という東京都への申し入れを中央民主団体災害対策会議・新建築家集団・日本科学者会議で行っています。
 こうした運動は、その後、自然災害発生時の国民的救援活動として受け継がれ、90年代に発生した雲仙普賢岳噴火災害や北海道奥尻島津波災害などでは、被災地に入っての支援活動、全国民的な募金の促進など、災害復興の重要な力となりました。
 
(2)阪神淡路大震災の復興支援の活動とたたかいの中から全国災対連が結成
 6433人の犠牲者を出し、未曾有の災害となった阪神大震災にあたっては、労働組合、市民団体、医療団体など各団体の取り組みは空前の規模となり、市民ボランティアの参加も飛躍的に拡大されました。そして、毎年のメモリアルデー行事、全国的シンポジウム、集会などが継続して開催されてきました。
 とりわけ、生活再建・居住保障を要求して取り組まれた、復興兵庫県民会議のねばり強い要求運動と全国から寄せられた署名など特筆すべきたたかいが続けられました。昨年刊行された「大震災10年と災害列島」では当時のたたかいを次のように紹介されています。(1995年)「3月17日115名の(復興兵庫県民会議の)代表団が上京し、総理府(当時)をはじめ関係各省庁と国会議員への要請行動を行い、以後、数10名から数100名規模による代表団が50回以上上京し・・・・公的支援実現を求め運動を展開してきた。・・96年3月には・・・3日間にわたって被災地から延べ300人が上京し、首相官邸や国会前に座りこみ『住専より被災者を救え』と訴え・・・国民世論形成を進めた。・・・・97年4月から「公的支援実現を求める住民投票運動」をよびかけ、87万人が投票し、98%を超える賛成で被災地の意思を表明し、・・・・40日間にわたって代表が東京に在住し政府、国会、関係団体に働きかけた。・・・・98年には2月から東京都内に宿泊所を確保し、連日国会議院へ働きかけ、…呼応して被災地では被災10市10町を結んで『公的支援実現を求める被災地キャラバン』を行うなど県民世論の結集を図った。こうして5月中旬成立した被災者生活再建支援法は、住宅再建を除外した上に金額が最高100万円にすぎず、支給条件もきわめて厳しく、阪神には適用しない『欠陥法』であり、その改正を求める運動を災対連や三宅島噴火災害被災者など全国の自然災害被災者と手を結び展開してきた。」これらのたたかいの経過は、災害被災者支援運動なくして国民生活は守れないことを示しています。そうした運動をとおして、「日常的には災害そのものを少なくすることを考え、災害が起これば後の被害をできるだけ少なくすることを考える。生活をまちを復旧、復興することを住民本位で考える組織」として、全国的持続的組織の必要性が共通の認識として広がりました。
 こうしたたたかいを通して、災害被害者支援と災害対策改善をめざす全国連絡会(略称:全国災対連、以下「全国災対連」)は、1999年10月に結成されました。結成にあたっては、阪神・淡路大震災の被災者救援の先頭に立ち、生活再建・住宅再建など個人補償・公的支援を求めてたたかってきた現地兵庫の「阪神・淡路大震災救援・復興兵庫県民会議」(以下「復興兵庫県民会議」)と中央の労働組合、市民団体などの諸組織が参加しました。その後、全国で発生した火山・地震・台風などによる被災者救援をとおして結成された地方の「災対連」、救援ボランティア、科学者などが参加し、現在36の中央団体と北海道・東京・群馬・宮城・新潟・愛知・兵庫・鳥取・岡山・広島・長崎の11都道県15の地方組織と震災ボランティアの個人が参加しています。
 組織の目的は、@阪神・淡路大震災をはじめ災害被災者の生活再建と住民本位の復興をめざす支援、A被災者生活再建支援法の改善、B災害・防災問題に関する運動・情報の交流、の3点をかかげています。
 
(3)結成直後から各地の災害支援に取り組む
 全国災対連は発足直後から、北海道有珠山噴火災害、東京三宅島噴火災害、愛知・東海豪雨災害・鳥取県西部地震(以上2000年)、芸予地震(2001年)、熊本県水俣市などの梅雨前線豪雨災害、宮城県北部地震(2003年)、新潟・福井の豪雨災害、台風23号をはじめ上陸10個に及んだ台風災害、中越大地震(2004年)、福岡西方沖地震(2005年)など、毎年のように発生した大規模災害に際して、地元の専門家とも協力して現地調査を行い、救援活動を取り組むとともに、現地の復興支援運動への協力を続けています。
 とくに、どの災害でも共通していることは、高齢者・障害者・低所得者など災害弱者といわれる人々の被害は大きく、耐え難い困難が強いられ、復興にあたっても最後まで取り残されるという事態が続いていることです。一方で災害復興にあたっては、産業基盤の復興には多額の公費(税金)が投入される一方で国民の生活再建が後回しにされ、仮設住宅から復興住宅へ、そして家賃を払えずに追い出されるという人権侵害さえ多発しています。さらには、仮設住宅での孤独死、劣悪な避難所に居られず車の中でエコノミー症候群による死など、人災とも言うべき被害が続出しています。
 こうした被災者の実態は、私たちの先輩・住民が身をもって体験し、教訓化してきたさまざまな経験が一つ一つの災害で活かされていないことを示しています。本来役割を果たすべき国や自治体に、必要な施策を実行させるのは、国民・住民の世論と運動がかかせない事は、歴史の教訓です。
 
4.災害救援・防災をめぐる政府財界のうごきと市民運動の重要性
 「言うまでもなく、地震は自然現象であるが、地震による災害の多くは人災であるといえる。したがって、人間の英知と技術と努力により、地震による災害を未然に防止し、被害を最小限に食い止めることができるはずである」これは、1971年当時、革新都政であった東京都がまとめた震災予防条例の前文の一節です。しかし、この地方自治の基本ともいうべき立場は、東京都自身が条例を改悪するなど、逆流ともいうべき動きも強まっています。
 経団連が1999年6月に発表した「都市再生への提言」では、「木造密集地は私権を制限して土地収用法によって強制的に再開発すべき」と述べています。また、国民保護法制が実施に移される中で有事法制と結びつけた「私権の制限」「人権の制限」が打ち出されています。都道府県と市町村には国民保護法制に基づく「国民保護計画」策定が義務づけられ、「敵が攻めてきたなかでの避難計画づくり」という荒唐無稽な前提内容を盛り込み、「災害と戦争を同一視」した体制づくりが進められようとしています。先月には、原発テロ攻撃を想定した全国初となる住民動員の実働訓練が福井県下で行われました。
 一方で、今年の「防災白書」で政府は、「いつどこでも起こりうる地震や台風等の自然の脅威の発生から逃れることはできない。しかし、災害による被害を軽減することは可能である。」として、「『備え』を実践する国民運動の展開」を掲げました。行政だけでなく住民と科学者や技術者の英知を結集することが被害を軽減する事につながる、としたことは大いに注目すべきです。そうした中で、「首都直下地震対策大綱」など政府の計画や、地域防災計画をはじめ各自治体の計画などに対して、住民の立場から発言し、声を上げていくことが重要となっています。
 「国民運動」を行政の責任逃れの口実にさせない取り組みが求められています。いま全国では、千葉県や山口県の「新日本婦人の会」が行っている「避難所ウォッチングや学校ウォッチングを行って学校の耐震診断を実施し、避難所の改善を実現する」取り組みなど、市民の手による「防災・減災」の活動がひろがっています。
 今後、「住民から見える計画づくり」を要求すると共に、「防災まちづくりシンポジウム」(仮称)など、市民の視点で防災問題を議論する場を数多く開催し、取り組みを広げていくことが重要です。全国災対連としても講師の紹介・派遣など積極的に支援して行くことを方針化しています。
 
5.まとめ 災害救援に市民の力の結集を、災対連を全国に
 全国災対連には、労働組合や市民各層に加えて、保団連や民医連、科学者会議や新建築家集団などの各団体が参加しており、建築・地質工学・地震学・法律分野・労働運動・医療福祉・教育文化分野関係者などの専門家が、ネットワークを発揮して数多くの取り組みを進めています。被災者や被災自治体などからの多面的な要求に対応できるのが特徴です。市民レベルでこうした取り組みができる組織は他には例がありません。大衆団体が個別では実現できない課題でも、共同すれば対応できる課題は数多くあります。地方レベルでも各県に1つ以上の災対連の組織化が求められています。
 
 
 
060117 メモリアル集会 戎 シズ子報告(要旨)
被災11年長田のケミカル業者の歩み
 
私は声が出難いんです。それは震災による心労、ストレスで、一時声が出なくなったんです。
今日はどうしても皆さんに訴えないといけないということで、三日間マスクをかけて一言もしゃべらないで準備してきましたが、それでも聴き取り難いかもしれませんが声を絞り上げてお話させていただきます。最後までよろしくお願いします。
 私は、長田民商で現在副会長をやっています。戎と申します。職業はケミカル業界の加工と縫製部門を32年間やっています。
私事ですが、震災当時、主人が(得意先が)夜逃げ、1件が倒産で大きな負債、不渡りを貰いました。それかショックで脳梗塞で倒れてしまいました。
それから丸々10年が経ちました。本当につらい10年でしたが、主人は本当に女道楽・酒飲み道楽・ばくち道楽でわが家もかえりみない主人でしたが、だけど仕事だけは信念を燃やした一生でした。
毎日仕事、仕事に追われ、家も家族もぜんぜん振り向かなかった主人でしたが、病を通して本当の夫婦になりました。ある時は自分勝手に動いて倒れて、起こし上げて、助け上げてと歯痒い事もありました。またある時は意識を失って救急車で運ばれて・・・なんて事を何回も繰り返して本当に悲しいこともありました。
ある時、「昨日は一歩しか歩かれなかったけど、今日は二歩歩けた。」という喜びを通して本当の夫婦の絆が生まれました。その主人も10年間病と闘いながら、この1月6日に静かに天国に召されていきました。全国で応援していただいた方々や友人に深く感謝いたします。有難うございました。
 私はケミカルの仕事をしておりますが、震災前は順風満帆で「何で人はお金が儲からんのかな」という気持ちで、お金の心配すること無し、仕事の心配すること無し、夜昼働いて本当に順調な生活をしておりました。
しかしあの震災を境に1年1年が苦しくなってきました。主人が倒れて、女手一つでこの11年間頑張ってきました。家に帰るとウンコだらけの主人の看病と、朝は8時から夜7時まで仕事場、夜なべで看病、寝るのは2〜3時間。しかし夫婦の絆が強かったからこそ、この10年を生きてこれたと思います。
そうやって11年間を送ってきて『人』という字と同じでの一方の柱が壊れて、私は倒れる寸前ですけど皆さんに支えられて何とか頑張っています。
 地場産業のケミカルの話ですが、震災当時はまだ仕事は少しはありました。だけどメーカーが震災で潰れてしまいました。それをきっかけに仕事は皆中国に取られてしまったのです。工賃が日本で1000円でしたら、中国では150円や200円で出来るんです。だから日本の地場産業を潰して、自分の儲けのために中国や韓国に出向いてメーカーは仕事を始めました。それがきっかけで長田のケミカル産業はどん底になりました。
神戸市の『復興支援工場』は『ものづくり支援工場』に名前を変えました。しかし私の知る限りでも去年10社ぐらいが倒産、廃業に追い込まれました。ビルの屋上から飛び降りた女性社長もありました。
 倒産は当たり前、自殺があり、夜逃げがあり、孤独死ありで、毎年死者が増え続けています。これは何が原因でしょうか。国の政治が悪い、行政が悪いんです。震災直後にすぐにでも、被災業者にも少しでも義援金を配るなり、していればこんなことにはならなかった。「金はやらんけど、貸してはやる」と融資はありました。
しかし、震災後10年経って国も「もうあんたらの復興は出来ている」と申入れがあって、知事さんも「長田も10年経って震災で壊れた家も復興は出来てる」と言って、去年から利子補給も据え置きも打切られました。
だから去年から「借りた金は払わないといけない」と言う事で、強制的に払うことになっている。だけどいま、仕事がない、明日から食べていくお金もない、と皆さん命を落とす寸前まで来ています。こんな崖っぷちに居て、この10年で出来た借金が払えるのでしょうか。今になってはどうすることも出来ないんです。
 共産党の市会議員さんや民商の三役さんなどと相談してるんです。「何とかして地場産業のケミカルを復活させないと、長田の街の灯が消えてしまう。」と、
商店街もがら空きです。人が通っていません。自転車を3台横に並べてもツーツーツッツ走れるんです。お店でも店の方が一人じーっと座っている。ラーメン屋の店長さんが一人カウンターにもたれて人の来るのを待っています。
そんな状況だから、もう夕方6時にもなると、全部シャッターが閉まってしまいます。長田はこんな街なんです。八百屋さんは、「震災直後は忙しかったけど、大きいスーパーが出来て僕の店では売れなくなった。」こんな声は一杯聞こえてきます。
アスタ、第2アスタ、アスタ、アスタと大きなビルがたくさん並んでいます。遠くから来られた方は、一度、長田の街を見に来てください。ビルと公園ばっかりです。
昔のような『向こう三軒両隣』という人の暖かさはありません。以前なら「葬式が出た」「お金がない、」「お米を持ってきたろ、」「あんたは何もって来れる?」など言い合って長屋住まいの愛情深い長田のおっちゃん・おばちゃんでしたけど、今は長田のおっちゃん・おばちゃんも居りません。
ただ11年経って残ったのは“ねたみ”しかないんです。「あの人は震災でおとうちゃん亡くなって、500万円もろとる」「あの人は国から100万円もろうとる」「お金ようけ持っとったから前より大きな家を建てとる」そういうねたみだっかりです。
震災直後、半年、1年は人と人とのコミュニケーションが取れていた。しかし今は、人をねたむ、自分が苦しいから人をねたむようになるんです。自分が生活できないから、人をねたんだり、恨んだり、蔑んだりするんです。
それをなくそうと思えば長田の地場産業のケミカルを再生して、発展させてこそ長田の街は生き返っていくんでしょう。それをどうやったら再生出来るのかということは、私らには対策を考えることは出来ません。
行政にも問題を持ち込んで何と長田の街おこしをしたいと思っています。私ももう67才になりました。もう本当は退職する年なんですが、私も長田のおばちゃんのパワーを振り絞って、命の続く限り、店を続けて、私も頑張って行きたい。
仲間が命を落とすことが無いよう、民商の会員を一人ひとり訪ね、多重債務の悩み、借金返済の苦労を聞いて尋ね回っています。困っている人同士が手を繋いで、長田の街を復興させたい。私は人助けには自信があります。それは私自身そういう目に合っているから人の苦しみも判るんです。これも主人の病を通して、私も人を思いやることの大切さを学んだからです。
これからも長田を応援して下さい。よろしくお願いします。
 
 
 
三宅島帰島者・未帰島者の現状
 
東京都三宅村議  寺本恒夫
 
○三宅島の現状と実体
 帰島して1年になりますが、いまも毎日火山ガス(二酸化硫黄)が風下へ出続けています。火山ガスは島内14カ所に設置してあるガス検知器が作動し防災無線で、注意報や警報が出されます。この警報が、「現実とあっていない」「うるさい」という村民から苦情が出て警報の出し方もかわりました。二酸化硫黄の環境基準濃度としては0,04ppmを目安としています。(資料1を参照)
島民は帰島前の健康診断を受け、高感受性者(呼吸器系疾患、心臓疾患の人)と健常者に分けています。この分け方も、1年経過してみると問題点が明確になってきています。喉や鼻の弱い人にとってもガスはかなり負担を与えますが、これらの人たちについて配慮がない。高感受性者は、村が家庭用の小型脱硫装置を貸し出しています。生活地域のガス濃度が高くなったら脱硫装置のある場所に入り安全を確保します。
 議会と住民は全家庭に小型脱硫装置を要求したのですが実現していません。小型脱硫装置は、あくまでも一時しのぎであって本格的な脱硫装置でないという見解です。また各地区に脱硫装置付きの避難所をという要求に対しても実現していません。いま行政が考えていることは、役場の出張所や郵便局に脱硫装置をつけようということです。これは住民が来ているときにガス濃度が高くなったときに対応できるようにということで、あくまでも一時しのぎのものと考えている。そして、避難所は一カ所だけという考え方を変えない。
 また、三宅島の中でも年間を通してガス濃度の高い地区を「高濃度地区」として、原則立入禁止区域に指定しています。
 しかし、一般の居住区へも高濃度のガスが時々出ますが、その時は野菜などの葉緑素を脱色し白くなり2,3日するとその部分が枯れ落ちて葉脈だけが残り、害虫が食ったようになります。ガスに比較的強い植物は、アシタバや里芋、カボチャ等ですが、これもそのときの条件によって可成りの違いが出てきます。 
 
〈資料1〉
 ★注意報や警報については次のように出します。(05年12月22日に改正)
レベル1
 
高感受性者注意報(0.2ppm)一般の人は特に規制はありません。好感受性者は屋外にいる場合はガスマスクをつけて屋内に移動すること。
レベル2




 
高感受性者警報 (0.6ppm)直ちにガスマスクをつけ、自動車などを利用して伊豆避難施設にするか、風向きなどを考え、火山ガスの影響のない地域に移動します。小型脱硫装置を設置した脱硫室が近くにあれば、そこにとどまることもできます。
 避難警報が発令された場合は、避難バスなどを利用して伊豆避難施設か低濃度地域に避難するようにして下さい。
レベル3
 
火山ガス注意報(2ppm)屋外にいる場合ははまずマスクをつけて長時間
過度のガスを吸わないようにする。伊豆避難施設かガスのない地区へ移動
レベル4





 
火山ガス警報 (5ppm)屋外にいる場合、直ちにガスマスクをつけて屋内に入ります。屋内では、避難準備をし、待機して下さい。また、レベル4を超えるガス濃度が長時間継続する場合などでは、避難警報が発令される場合がありますので、村役場からの放送に注意して下さい。
 レベル4の避難警報が発令された場合には、避難バスなどを利用して伊豆避難施設に避難するか、自動車など移動手段があれば、風向きなどを考え、火山ガスの影響のない地区に移動して下さい。
  
 ★火山ガス警報・注意報発令
(1)レベル別(平成17年2月から11月までの累計)
   区      分   累計
 レベル4(火山ガス警報)    62
 レベル3(火山ガス注意報)   583
 レベル2(高感受性者警報)   688
 レベル1(高感受性者注意報)   964
   合      計 2,298





 
 
(2)高濃度地区外でのレベル4発令回数  11回
 
○帰島者の実体
 2月1日から始まった帰島事業も、3月中旬から4月の上旬がピークでそれ以降は暫増という状態で、8月31日現在で帰島世帯数1,247世帯、帰島人数2,158人、2月以降三宅村に転入した住民が332世帯、364人です。在住世帯数1,579世帯、2,522人です。 詳細は資料2、を参照。
 今回の帰島で42.6%と超高齢化が進みました。一方、子供から若年層の帰島割合が極端に少なくなっています。それは、子供の教育の継続の問題、子供が小児喘息、また幼児がガスとの共存に耐えられるかなど、悩みを抱えての苦渋の選択の結果です。従って、若い人たちの多数が単身赴任という結果になっていて、児童生徒及び母親の帰島割合が低いのが目立ちます。
 また、70歳以上の方の帰島割合も69歳までの層と比較して少ないのは、いまだに、島内の特養ホームが災害復旧が出来ていないために、都内の特養や老健施設に引き続き入所をお願いしている人数が75名いますので、帰島者が少なくなっています。本来一番早く帰島したいと願っていた階層の人たち(島に一歩足を踏み入れてから死にないと言っている人たち)を、一番後回しにしたことになります。いまは、特養の経営法人は帰島している高齢者の在宅介護支援センターを開設し、ディーサービスとショウトスティーを実施しているだけです。
 一方、村民から今回の介護保険制度の改正で、10月から食費、居住費が徴収され経費が2倍になる。面会に行くのも大変という声もあがっています。村民と村議会からも強い要求があり、05年9月になって現在の特養の建物の復旧が決まり、1年後には再開されると予想されていますが、特養の職員が集まるかどうかが心配です。
 また、この間民間で福祉サービスセンター的な施設が3カ所出来ました。これらの施設が特養の補完的なことをやっています。
 
○高濃度地区住民の帰島後の実体
 村条例で高濃度地区を指定したのですが、いつガスが止まるかわからず不安な日を過ごしています。いま、高濃度地区の住民は三宅島の各地に散在して建設した村営住宅へ入居しています。従って避難前の集落には関係なく入居したのでコミュニティは破壊されたままです。この地区の人たちにとってはいまだに避難生活が続いているわけです。都内で避難していたときの方が、お互いに避難者としての心の通い合いがあった。帰島してこのように他地区へ来て一棟に2、3世帯の避難生活で、他の人たちは本格的な帰島なので話が合わず寂しい思いをしています。このように、大変辛い日々を過ごしています。
 村営住宅の家賃は、06年3月まで免除ですがそれ以降はまだ方針が出ていない。その理由は、都営住宅へ入った人たちはすでに家賃を払っているのだからそれとの整合性の問題で、国や都のハードルが高い。高濃度地区では居住もできないし商売もできないので、現状で家賃を払えない人たちもいるのでもっと柔軟に考えるべきではないかと主張していますがなかなかハードルが高い。
 また、居住を制限して置いて高収入で村営住宅への入居が出来ないという問題もありましたが、再三、議会で取り上げたり村長交渉の中で要求をして4月27日に条例を改正して入居可能にしました。しかし、家賃が非常に高く不満が噴出しています。6畳の部屋2室とダイニングで58,000円。安くするよう交渉もしたのですが計算式でやるとこうなるとの一点張りです。
 
〈資料2〉
○現在の帰島者と年齢構成(05・8・31の調査でこれ以降は調査なし)
(1)帰島世帯数
区分 神着 伊豆 伊ヶ谷 阿古 坪田 外国人  計
世帯数  244  153   87  440  308   15  1,247
帰島割合% 79.2 85.5  77.7 80.6  65.1  53.6  75.8
※阿古高濃度地区に居住していた住民の帰島世帯数:18世帯(帰島割合85.7%)
※坪田高濃度地区に居住していた住民の帰島世帯数:87世帯(帰島割合64.9%)
                 
(2)帰島人数
区分 神着 伊豆 伊ヶ谷 阿古 坪田 外国人

人数
 
 188 132  77 406 274   4  1,081
 215 139  71 383 253   16  1,077
 403 271 148 789 527   20  2,158
帰島割合% 67.3 77.9 70.1 73.5 57.1  55.6   67.6
※阿古高濃度地区に居住していた住民の帰島人数: 37人(帰島割合88.1%)
※坪田高濃度地区に居住していた住民の帰島人数:154人(帰島割合55.2%)
                   
(3)年齢層別の状況

区  分
 


9歳
10歳

19歳
20歳
 〜
29歳
30歳
 〜
39歳
40歳

49歳
50歳

59歳
60歳

64歳
65歳

69歳
70歳

 


 

人数
 
 38  63  44  77 149 231 93 106 285 1,081
 29  69  39  51 110 163 88 120 408 1,077
 67 132  83 123 259 394 181 226 693 2,158
構成割合% 3.1  6.1  3.8 5.7 12.0 18.3 8.4 10.5 32.1 100.0
帰島割合% 38.7 43.3 40.1 52.1 69.4 79.9 80.4 80.1 77.3 67.6







 
 
(4)平成17年2月1日住民基本台帳人口(参考)

  区 分
 

 〜
9歳
10歳

19歳
20歳

29歳
30歳

39歳
40歳

49 歳
50歳

59歳
60歳

64歳
65歳

69歳
70歳

 


 
  計   173   305   207   236  373  493  225  282  897  3,191
   ※阿古高濃度地区に居住していた住民の世帯及び人数  21世帯  42人
   ※坪田高濃度地区に居住していた住民の世帯及び人数 134世帯 279人
(5)平成18年1月1日住民基本台帳人口(参考)

  区 分
 


 9歳
10歳

19歳
20歳

29歳
30歳

39歳
40歳

49歳
50歳

59歳
60歳

64歳
65歳

69歳
70歳

 


 
  計   86   192   218  223  336  537  199  256 837 2,884
 
(6)教育施設等(12月1日現在)
 小学校児童数    67名
 中学高生徒数    37名
 三宅高校生徒数
    ”  秋川分校
   36名
    5名
 村立保育園園児数    25名
 
(7)高齢者福祉関係
  @あじさいの会(特養)

 
・ショウートスティ  定員  9名
・デイサービス  定員 20名
 
  A民間のサービス機関
  ・風の家  ・他に2施設
 
○被害の実態と復旧・復興の各種支援制度
(1)被災者生活再建支援法
 2000年9月避難後、11〜12月にかけて全島民避難ということで、10戸以上の全壊家屋があるということで被災者生活再建支援法に該当し、全島民に対して100万円が支給された。しかし、これには収入制限があり、1999年度の収入が500万円以下と言うことで該当しない人がかなりいました。
 04年の改正で、支給総額の上限を300万円に上げ、長期避難特例として70万円の引っ越し代(生活の再開費用)が支給された。
 この他に、全壊家屋の世帯が建て替える場合撤去費用として130万円が支給される。
 この問題点としては、@500万円という収入制限があること。A家屋本体の建て替え・修理に使えないこと。B帰島しないで都内の都営住宅に移る人に対しては、長期避難特例が該当しないこと。C高濃度地区の住民には全壊家屋でも解体撤去してもそこに再建できないので支給の対象外になった。ただ、三宅島の他の地区へ再建する場合は撤去費用が出るが、このような人はほとんどいないこと等が上げられます。
(2)東京都三宅島災害被災者帰島生活支援制度 
 05年2月1日避難指示解除に伴って、家屋の修理等に使えるようにということで、150万円を都が単独で支援する制度です。この制度は、帰島するかどうか迷っている人たちに対して背を押してやる意味では効果がありました。
 しかい、家屋の傷みの実体は、帰島前に一時帰島を繰り返していたので予想はしていたが、家の痛みは想像以上でした。屋根は二酸化硫黄で溶けてしまったり、シロアリ、ネズミ、イタチなどの小動物の被害や長い間閉めきって置いたために床板や畳が腐食して使い物にならなくなったり、羽目板も釘などがだめになったり、痛みは予想を超えていました。とても150万円ではまにわうものではありませんでした。@せめて上限を300万円くらいにして、被害の額に応じて対応できるようにすべきであったのではないか。A収入制限が1000万円であげられましたが、ダムを造るので土地を売った世帯は該当しない世帯が多く出ました。
○建て替え・修理の進捗状況
 大工さんが不足していて、いまだに順番待ちが続いています。村の呼びかけで、全建総連から大工さんが、4月から8月までの間、ボランティアを延べ1、200人派遣してもらい地元の大工さんのお手伝いをし、島民や大工さんから感謝されました。しかし、いまだに大工さんや職人が不足しているために修理が進んでいない。資料3の都支援制度を見ると、帰島世帯の半数が利用しているだけです。
(3)高濃度地区の家屋劣化保全と廃屋解体撤去事業
(劣化保全事業) 高濃度地区といえども手を入れれば使える家屋が残っていて、一時帰島のたびに手入れを続けてきた人たちについて東京都の生活再建制度が適用外になっていた。そこで、都議会厚生委員会と村議会と懇談会を開いて何とか適用をと要望をし結果、村で「高濃度地区の家屋の劣化保全事業に対して50万円を出す」。この制度を受けた人に対して東京都は、自動的に帰島支援のために集めた義捐金から100万円を支給するというシステムを作った。 
(廃屋解体事業) 高濃度地区の80%が廃屋同然の状態であるため、健全な姿で残っている家屋の20%近くに対して二次災害を起こしかねないということで、議会と自治会から強い要望が出て、村単独事業でこの制度を作った。しかし、この制度は、母屋を劣化保全の支援を受けた者は倉庫や車庫だけの撤去は認めない。母屋がしっかりしているのであれば、母屋に手を少しでも入れて、劣化保全の支援を受けるように指導をしている。そして、車庫や倉庫の解体撤去を自分でやれと言うことである。
(4)農業の支援
 農業は、5年間放置して置いた畑は、竹、ススキ、雑木に覆われて荒れ放題でした。人力ではとても復旧は無理なので、国の予算でいま開墾がやっと始まりました。このように遅れ、工期は2月いっぱいです。従って秋の蒔き付けは無理で、春野菜からになります。アシタバなどはそのために、半年以上の収穫の遅れになります。従って、農家は帰島後全く農業収入がない状態が続きます。体力のある若い農業者は、開墾作業員として土建屋に雇われて働き現金収入をえています。これも初めは雇用を渋っていたのですが、何回も村や土建会社と交渉をして実現しました。一つの業者だけが、初めから高齢化した農業者でも働けるような体制をとりました。
 農業者への復興事業として、都単の事業でビニルハウスの導入を行うが厳しい条件が付いているうえ、補助棟数が少ない。これでは農業生産物を火山ガスから守には不足している。17年度34棟、18年度40棟という計画です。1棟(6b×20b、灌水用の池も含む)当たりの建設費は100万で、このうち17%を個人負担としている。これで棟数が足りない場合は、国の事業を取り入れていくという方針。また、農業用水の復旧が遅れているために、当面は灌水用の堀池を作ってまかなう。この資材についても補助。
(5)漁業の支援
 漁業は、海の中は土石流の流入によって荒れて、その上海水温の影響か、島の特産であるテングサやトサカノリなどが少なく水揚げも少ない。また、漁はあるが製氷所が復旧していないために氷りを他の島から買っているので漁協での出荷もなかなかスムースに出来ない。魚が捕れると自分で焼津まで船を走らせるという若い漁業者もいますが、燃料代が高く大変です。製氷所を作らない理由は、製氷所を作って人件費を考えたら他島から購入した方が経費的に安く上がるということと、今後の三宅島の漁獲高を見てからということです。これでは若い漁業者の意欲をそぐことになるのではないか。
 噴火災害で使えなくなった漁船については、公費で処理する。
(6)自営業者
 もう一つの地場産業である「くさや」の製造ですが、避難中も隣の島のくさや組合の行為でそこで製造販売していた若い水産加工業者が帰島後いち早く製造を開始しました。9月になって2軒が再開して3軒になりました。このような自営業者に対しての支援がないということも今後の大きな課題です。
 婦人の有志が、避難中からグループを作り特産品の開発に取り組んでいて、村が補助しないために自分たちで工場をつくり試作品に取り組んでいる。
 
〈資料3〉
1,災害生活再建制度等の処理状況(11月15日現在)
○長期避難解除世帯特例制度(70万円)

 
申請件数   申請額 支給決定件数 支給決定額
896件 529,813千円  786件 465,850千円
 ※申請件数は基金への申請件数
 
○居住安定支援制度(13万円)

 
申請件数  申請額 支給決定件数  支給決定額
 1件 725千円    0   0千円
 
2,都支援制度(150万円)
○帰島生活再建支援金

 
申請件数   支給決定件数 支給決定金額
554件    521件 579,409千円
 
3,村支給制度(50万円)11月15日現在
1,高濃度地区内における被災住宅劣化保全支援金

 
支給決定件数   支給決定金額
 32件   13,356千円
 ※決定件数と世帯数は金額が単純に一致しない。村の50万円が支給されると都に集まった義捐金から100万円を支給する仕組み。
 
2,廃家屋の解体撤去事業(06年1月4日現在)
  15件の申し込み。確認の上全家屋決定通知を出す予定。
 
3,義捐金の配分について
 11月2日の配分委員会で、高濃度地区世帯に対して100万円を配分するという諮問に対して、同意の答申を出した。しかし、いまだに配分されていない。
 
 
○今後の復興の課題
@「被災者生活支援法」は2年間、「東京都三宅島災害被災者帰島再建支援制度」は1年間で切れますが、三宅島の場合、火山ガスがいまだに噴出し続けている状態で、いま、帰島を断念した人たちが、ガスが無くなれば帰島するという強い希望を持っています。この人たちが、ガスが無くなって帰島する場合、今回帰島した人たちと同じ支援が受けられるように都や国に働きかけて、特例措置を設けさせる必要がある。
A 農地の復旧は、土建会社に請け負わせてやったので農業者が働く場所が狭められた。そして開墾そのものが遅れている。秋の蒔き付けに間に合わなかった。1983年の噴火の時は、土建会社が受け、農家に下請けに出した。農家はこれで農作物が出来るまでは灰取り作業で収入を得ていた。今回は下請けに出してはいけないという指導が関東農政局の方からあったためにそれが出来なかった。そのうえ、大型重機を入れての作業になったために、農業者が高齢のために雇われないということもおきてしまった。農業収入はこの一年間皆無であった。農家が開墾に関われるようにすべきであった。
 また、野菜を蒔いてもアシタバなど特殊な作目以外はガスが出ると影響を受けて枯れてしまうので一日も早く、火山ガスに強い作目の選定が急務である。同時に火山ガスから作物を守る方法の研究も急務である。
B 漁業は荒れ果てた漁場の徹底的な調査と整備をして根付き漁業の復興は、投石事業を行う必要がある。それには40年くらい前にやっていた、漁師に漁船で投石をさせる方法をとらないと磯場は回復しない。また、漁協の製氷施設の復旧をし、魚価が安い上に氷まで他の島から買うのでなく自力で製氷が出来、捕れた魚の鮮度を保って出荷が出来るようにすることが急がれる。 
C 事業者の問題ですが、特に商店などはその地域で生活するのには不可欠です。商店が再開したから帰島したという住民もいます。高齢化した三宅島では地元のお店は生活と密着した存在です。これら小規模の商店等の自営業者に対しての災害復興支援は、離島や山間部での集落の存続に大きくかかわるので絶対必要です。
 伊ヶ谷という集落には商店が一軒もない状態です。ここは高齢化が一番進んでいて、その上急傾斜値に集落が点在しているという悪条件です。初めのころは、ここの高齢者は東京にいる子供、または親戚から生活用品を送ってもらっていました。最近は、他の集落の商店に注文し配達してもらうか、近くの人に乗せていってもらって買い物をしてくる状態です。ここは過疎化がこれから進むのではないかと心配しているところです。
 
〈資料5〉
事業者の再開状況
     噴 火 前       噴 火 後
業 種   内    訳 事業所  内    訳
民宿33,修理5,理容4,美容4,
遊渡船19,その他14,
時業所数

87
サービス業
 
民宿80,修理6,理容6,美容7,
遊渡船19,その他17

135
小売業 食料品45,飲食店45,燃料45  91 食料品8,飲食店17,燃料等18 50
建設業

 
建築,土木建築,電気設備,左官,
その他

 45
 
建築14,土木建設6,電気6,左官12,その他7
 

38
 
その他
 
運送業3,ハイヤー12,金融2,その他8,
 25
運送業5,ハイヤー6,金融2,
その他10,

23
製造業    14   10
卸売業    27   11
  計   337   219
 
○税等の納付問題
 避難中は、固定資産税は免除し、その他の税等は納期延長措置をとっていたのですが、帰島してすぐから税等の納付が始まっています。05年11月30日付で見ると、納期の延長措置をとっていたものまで含めて滞納分として扱い、徴収率が12.6%いう低い数字になっています。税や国保料、介護保険料等についての減免措置は2000年だけです。それも家屋に損害を受けた者だけですから対象者はほんの一部にしかすぎません。06年度から本格的な徴収が始まると思いますが、05年の第4回定例会で、村民の経済状態は最悪であるので、徴収については村役場の中に対策本部を設けて、実状にあった徴収方法をとるような体制をと質したのに対して、村長は「プロジェクトチームを作り決して無理の無いような徴収をしていきたいと」答弁をしています。
 滞納分は5億にのぼっています。本年度分が約5億ですから、避難中も少ない収入の中から爪に灯をともすような苦しみをしながら払い続けていたことが伺えます。せめて災害を受けて長期避難をしてい正業に就けない期間の無収入状態の時くらいは減免をするような法改正が必要ではないか。
 また、06年からの介護保険料の引き上げは確実ですが、介護保険計画策定委員会で段階を増やしたり細分化したりして検討してみましたが、三宅村は第1号被保険者に高額所得者がほんの一部しかいなくて効果が出ないこともわかりました。第4回定例会でこれ以上の値上げを押さえるためには最終的には一般会計から繰り入れるのもやむを得ないという答弁を村長から引き出しています。
 
○未帰島者の現状
 未帰島者と言ってもいろんな例があって簡単にはまとめられないが、平成17年2月1日現在の住民基本台帳上の世帯と人口は、1,646世帯で、3,191名です。詳しくは参考資料をご覧下さい。
 年齢別の帰島率を見ると年齢が低いほど帰島割合が少なくなっていることがおわかります。それは、幼児の場合ガスの出ているところへ帰るのが心配だということが大きな理由になっています。また、小中学校の児童生徒は教育の継続ということもあり、島の学校では経験できない、スポーツや学習などを理由として、また5年間のなかで培われた友情も大きな理由になって子供たちが帰るのを拒否している例が多くあります。また、高校進学のためにと言う理由もあります。一方、小児喘息などのために帰りたくても帰れない子供たちもいます。これらの子供たちには、ほとんど母親がついて残っているために、若い男性の単身帰島者が多くいます。金曜日の午後の船には単身帰島のお父さんたちが家族に会いに上京する姿が多く見られます。
 また、高齢者では高感受性者という診断をされたために帰島をあきらめた人もいますし、避難中に環境の激変のために体調をくずしてしまって帰島したくても帰島できない、または子供たちが帰島を反対し帰島を断念した人もいます。
 高濃度地区の人の帰島割合も少なくなっています。帰島しても自分の家で暮らせないのでは帰っても仕方ないとか、帰島しても隣近所で暮らしていた人がバラバラになってコミュニティーが破壊された状態で帰島するよりも子供のいる都内で暮らす方が安心していられるということで残った人が特に高濃度地区の人たちの中には多くいます。
 ここで問題は、帰島しなかった人たちの都営住宅へ入る条件が絞り込まれたことです。
そして2段階に分けられました。17年2月1日の避難指示解除により都営住宅・都民住宅の無償使用は17年4月30日までとする。特別な理由のある方は7月31日まで認める。
○未帰島者への都営住宅・都民住宅斡旋条件
@高濃度地区の世帯。
Aハイリスク者(高感受性者)を抱えている世帯。
B特殊な病気で島で治療を受けられない方のいる世帯などに限られていました。 
 従って子供の教育の継続とか、子供が小さい(乳幼児を除く)と理由、
 @〜Bの条件以外は認められないために3月末日をもってこれらの世帯は、民間マンションや民間アパートをかりて引っ越しました。家賃もかなり高いということで、その上2重生活を強いられているので経済的にはかなり苦しいと聞いています。
 都営住宅に入った人たちは、8月から入居で、原則引っ越しをする事というのが条件でした。そして8月分の使用料から徴収されました。ただ国民年金だけの収入の人はその地区の区会議員や市会議員にお願いして、減免手続きの仕方を指導してもらった。
 また、都内の引っ越しには長期避難特例(70万円)が該当しなかったので、議会で強く要求して、結果的には住民票を移した時点で義捐金から15万円を支給するように配分委員会で答申をして支給しました。
 都営住宅や都民住宅へ入った世帯は全部が住民票を三宅村から移さなければならないという指導のもと、将来的には帰島し再び三宅村住民になるという覚悟であっても、後ろ髪を引かれる思いで住民票を移しました。ただ、民間のマンションやアパートへ入った人たちは住民票を移さない人もいますので帰島確認数と住基上の数字が合わないということが出てきています。
 東京災対連は、安価で引っ越しが出来るように、引っ越し業者を斡旋し、ボランティアーを派遣して安く引っ越しをすることが出来大変感謝されました。ボランティアーは延べ71名が20世帯のお手伝いをしました。
 未帰島世帯に対して、三宅村の情報が届かなくなっているという問題点等が出されています。自分たちはいつまでも三宅島民でありたいと思っているが、村側は住民票がないので届けようがないということで届けていないのが実状です。7月31日の高濃度地区の未帰島者を対象にした懇談会でもこのことは強く指摘されましたが、いまだに解決していない。このように村は未帰島者に対しての支援を一切考えていない状態です。
 いま、未帰島者の方を対象に「三宅島ふるさと再生ネット」という組織を作ろうという動きか出ています。これは、@三宅の情報の提供。A三宅島の再建と・再生を考える。B三宅島噴火災害の被災者の声を全国に発信することを目的とする会ですが、これからが本格的な組織作りです。
 
 
 
 
 
台風23号による災害復興・治水対策−但馬からの報告−
 
台風災害復興・治水対策但馬住民の会 森 垣  修
 
 
1、円山川過去最高の水位に(@グラフ)
 
 2004年10月、夕刻から水位が上昇を続ける。21時には、豊岡市立野で8.29mに達し、限界である計画高水位の8.16mを上回る。各地で越水が始まり、23時15分、立野右岸が破堤、左岸一日市堤防が決損、市内8割が浸水。23時37分出石町鳥居の出石川堤防左岸が破堤、家が流され、小坂地区全域が浸水した。
 
2、河川氾濫と破堤(A河川氾濫、B豊岡立野)
         (C出石・鳥居地区、D日高浅倉地区、E豊岡左岸・浄化センタ−)
 
 
3、被害の状況(F地図による被害状況、G被害状況表)
 主な被害は、地図上に示した通りである。
 全壊建物327棟、半壊3,721棟、一部損壊277棟、床上浸水544棟、床下浸水3,310棟、死者は豊岡1名、日高2名、出石2名、但東2名の計7名。流出した家屋とともに流される1名、車で走行中に洪水に巻き込まれる5名、水没した家屋で発見1名である。
 
4、円山川緊急治水対策(H豊岡河川工事事務所の計画、I事業メニュ−)
 国土交通省は、激特事業をH16〜21年で、650億の予算をつけ、河道掘削、築堤、内粋対策、堤防強化、北近畿タンゴ鉄道鉄橋架替、堰の改築らに既に着手している。
 H22から27年、250億で遊水池整備などを行うこととしている。
 円山川は、全長68kmのうち、国管理区間は27km、あとは県管理の河川。支流を合わせると490km、国、県の区分を越えた総合治水計画が必要だ。
 海面との落差の少ない円山川の治水は、急な増水を防ぎ、山林、農地などを大切にして、上中流部の保水力を高めることが必要だ。この対策を総合的に進めないと、堤防、放水路、排水機建設を進めても、かえって大洪水を招く危険がある。
 
5、六方防災ステ−ション建設で、六地蔵地区全戸移転
(J六方防災地図、K防災ステ−ション設計図)
 国土交通省、兵庫県、豊岡市が共同で立野、六地蔵に、堤防拡幅に合わせ、防災資材倉庫、ヘリコプタ−発着場、避難場所など、「防災ステ−ション」建設計画がすすんでいる。
 @、国が堤防の拡幅整備、A、県が用地買収、ステ−ション敷地造成、B、市が水防センタ−建設というが、全戸移転は、地区のあり方など住民の願いをしっかりとらえることが必要となる。
 
6、「無堤地域を最優先せよ」−中郷遊水地計画  (L遊水地計画写真)
 この計画では「河道の整理」「新たな堤防の建設」「道路変更」「遊水地内の掘削・掘り下げ」「水門の建設」が行われる。洪水時以外は空地状態となる。計画箇所は中郷地区の無堤地域の河川沿いに二重の堤防を築き、洪水時に遊水地とする計画。
 中筋地区区長会や地元地区に説明された計画は、概要説明で終わっている。台風23号洪水で床上2mに達する被害を受けた中郷地区では「計画に反対しないが、堤防建設こそ急いでほしい」「後期計画であれば5年も待たなくてはならない」と強い要求が出され、議会でも追及する中で、計画を変更、21年までに堤防建設を先ず行うということになった。
 
7、構造改革の正体見たり−但東町の24時間救急−    (M救急車)
 人口5700人、1700戸の但東町が合併で豊岡市に吸収される。合併協議で、但東地区への救急車配置は、18年10月から5人体制で平日の日中のみ出動する計画となる。議会での質問に「人件費を減らさなければならんのに、10人、15人配置はできない」との市長答弁(合併前)
 「救急は365日・24時間体制をとるべし」の但東町有権者9割の署名が上がり議会も採択。
 「24時 間体制には、10名の職員が必要。可能なら来年10月から10名体制で行きたい。」と新議会で答弁。運動が行政を動かしつつある。
 
8、神戸・全国の運動が後押しした県の被災者支援  (N支援金表 O見舞金表)
 11月18日、兵庫県知事が「台風災害の被災者支援の追加対策」を発表。国の被災者生活支援法 の最高200万円の住宅支援制度に、兵庫県(3分の2)、市町(3分の1)が負担して最高100万円を追加するもの。年齢制限もとり、認定の基準も緩和、所得制限を年収800万円まで引き上げ、国にはない床上浸水10%以上に25万円、半壊50万円までの支給を決めた。
 兵庫県民会議の運動、豊岡市議会の改善要望意見書の決議など、広い世論の支えで実現した。       
9、豊岡かばんの危機 (P西村かばん、Q高島かばん)
 500万円の裁断機も、モ−タ−が泥につかり使い物にならない。豊岡市で総額50億のかばん業の損害、かばん協会の尾畑会長は、「50億円の損害は年間売り上げの2ケ月分、復興には国も県もかかってくれないと無理だ。」という。
 営業再建のための直接支援制度がいまだにない。「貸し付け制度」では、資産を失ったものに負債を背負い込ませるだけだ。
 
10、ボランテイア2万人に感謝、義捐金2億円−阪神の経験が生かされた−
                   (Rボランテイア S学生ボランテイア)
 21日から近畿、全国2万人のボランテイアがかけつけ、道路を埋めた「1年分を超えるゴミの山」が一掃された、
 全国からの被災者救援義捐金は2億円を越す。
 
11、「ろっぽう診療所」の再建  (21, 訪問診療  22 ,カルテ干し)
 床上1.2m、泥に埋まった診療所、22日には泥をかき出し、仮診察室で診察開始、医師、看護士ら3人のチ−ムによる被災宅訪問診療は、10日間で2,623軒。阪神淡路大震災の経験が、但馬で再現され、大きな感動を地域に広げた。
 診療所は生き返り、新たに介護事業にも着手、元気に経営を広げている。
 
 
 
中越大震災・被災者支援の活動の到達と課題
災害被災者支援と災害対策の改善を求める新潟県連絡会 宍戸末雄
 
10年の復興計画のもと今年9月を被災者の生活再建目標に支援
04年10月23夕刻に発生した中越大震災から早くも1年3ヶ月がたちました。19年ぶりの大雪といわれた昨冬に続き、今年も早くから大雪に見舞われています。この中でいまなお約2千5百世帯、7千人にも及ぶ被災者が仮設住宅での生活を余儀なくされています。
新潟県をはじめ被災市町村の多くは、昨年8月前後に「復興計画」を相次いで発表し、復興段階、再生段階、発展段階の3段階にわけ、10年間で復旧・復興をはかることにしています。その中で、すべての被災者が生活再建の見通しを立てられる目標期限を平成18年9月に設定しています。県と被災市町村は、これまでに5,167億円の復旧・復興予算(平成17年度9月補正を含め)を計上し、インフラ整備、ライフラインなどの復旧作業を急ピッチですすめているところです。しかし中越大震災は全国有数の豪雪地、中山間地を襲った地震であり、約半年間は復旧・復興作業を中断せざるを得ない悪条件におかれていることから、中山間地域では道路をはじめとしたインフラ、水道などのライフラインの復旧・復興作業が遅れています。旧山古志村も当初は今年9月を目標に全村民が帰村することとしていましたが、来年4月以降に大幅にずれ込むなど、すでに目標通り進まない状況も生まれています。同時に被災者一人ひとりの住宅再建の見通しについても厳しいものがあります。新潟県は昨年12月8日に、仮設住宅入居者を対象とした「被災者生活再建状況調査の実施結果」を発表していますが、これによると住宅を「自力再建する」1,719世帯(67.8%)、「公営住宅を希望」405世帯(16.0%)、「その他」102世帯(4.0%)、「未決定」308世帯(12.2%)となっています。「その他」は子どもとの同居、民間アパートへの入居などをさしていますが、問題は「未決定」の308世帯です。これは再建方法を決めかねている被災者で、その理由として「再建資金の目処がたたない」「再建用地の選定に迷っている」「再建方法に迷っている」などを挙げています。また中山間地の生業の中心である農地復旧も大変な問題を抱えています。中越大震災で農地被害を受けた面積は全体で10,410ヘクタール。そのうち復旧工事によって昨年の作付けが可能となった面積は9,421ヘクタール、昨年の作付けができなかった面積は989ヘクタールでしたが、問題は今春も作付けができない農地がかなり生まれる可能性があることです。高齢者が多い中で、耕作放棄地が生まれないかどうか心配されるところです。
震災からの真の復興は、すべての被災者が元どおりの生活を取り戻すことにありますが、この立場からみたとき、まだまだ沢山の課題が残されているだけでなく、この間の被災者支援の活動を通じてさまざまな問題が横たわっていることを痛感します。そこで災害被災者支援と災害対策の改善を求める新潟県連絡会(県災対連)が、この間取り組みを通じてとくに重要だと実感している問題や課題について触れたいと思います。
浮き彫りになった国の支援制度の使い勝手の悪さ
その一つは、98年に創設され、04年に改定された国の被災者生活再建支援制度の使い勝手の悪さです。国の制度は、何よりも個人財産は支援できないとの理由で住宅本体の改修には使えないこと、そのうえ厳しい所得制限があり、支援対象を大規模半壊以上に限定している等の問題があります。問題はこの使い勝手の悪さが、中越大震災をつうじ大規模に検証されたということです。中越大震災の住宅被害は、全壊3,138棟、大規模半壊2,145棟、半壊11,845棟、一部損壊111,898棟で、半壊以上が17,128棟です。これに対する国制度の利用件数が、昨年10月末現在2,252件(16億4655万円)で、半壊以上の被災者のわずか13%にとどまっています。一方、所得制限なしで住宅本体にも使え、半壊以上が支援対象の県制度(上限100万円)の利用件数は、14,250件(70億2664万円)で、半壊以上の被災者の83%にものぼっています。違いは歴然です。国制度に対する批判の高まりの中で、国も「世帯分離」を積極的に認め利用者の拡大をはかるとか、「生活関連経費」(100万円)で購入できる品目・数量の規制を緩和するなど、一定の改善をはかってきています。しかし「住宅本体」に使う点では踏み込もうとしていません。中越大震災で使い勝手の悪さが改めて検証された今、改めて国の支援制度の抜本的な改善を求めることが重要課題となっています。
雪国では仮設住宅の構造上の改善が求められている
被災者支援の最初の課題の一つである仮設住宅の改善問題も重要課題です。震災から1ヶ月半後の一昨年12月に約3500戸の仮設住宅が建設されましたが、この住宅が雪国仕様になっていないため、被災者が随分苦労させられるという問題が発生しました。その一つは、入口に風防設備がないため、戸を開けるともろに風雪が部屋の中に舞い込んでしまうという問題です。県災対連は、高齢者が多い中で、行政の責任として風防施設を設けるよう繰り返し求めましたが、行政の対応がなされない間に、我慢できない被災者がそれぞれ苦労しながら業者に頼み、設置せざるを得ませんでした。もう一つは結露問題です。冬期間、密閉した部屋の空気と外気の温度差が激しいため結露が発生し、それが水滴となって滴れ落ちて布団がびしょ濡れになるなど、被災者は大変な苦労をさせられました。この問題でも行政に緊急対応を繰り返し求め、行政も屋根裏にガラリ(通風口)を取り付けるなどの対応をしましたが、あまり効果があがりませんでした。後に長野県から仮設住宅全戸に除湿機が提供され、かなり改善されました。しかし民間の専門家グループの調査によると、仮設住宅に構造上の欠陥があるとのことです。今後の災害に備えるうえでも、雪国に見合った仮設住宅の構造上の改善が求められていると痛感しています。
地盤災害への公的支援の改善も引き続く重要課題
中越大震災は地盤災害といわれるように、各地で山崩れ、がけ崩れ、宅地地盤の亀裂・崩壊・液状化などが発生しました。住宅改修のためにもこれらの地盤の復旧が前提となります。県災対連もいろいろ対応をしてきたところですが、ここでは二つの大きな課題が問われました。その一つは、宅地に隣接した山崩れ、がけ崩れへの公的支援の問題です。被災者の声、私たちの運動によって、国の「がけ崩れ対策事業」も「自然」の急傾斜地だけでなく「人工」の急傾斜地も加えるとか、「高さ」制限も5メートルから3メートルに下げるなど、大きな改善がはかられてきました。しかし国の「災害関連地域防災がけ崩れ対策事業」にしても、がけ崩れから保全する「人家が2戸以上」でないと「公共性がない、個人財産は支援できない」との理由で、1戸では支援しないというものです。中山間地では点在した人家によって集落を構成し、それ自体公共性をもっているにもかかわらず、そこで発生したがけ崩れには公的支援がないという重大な事態に直面しました。この問題では、繰り返し国・県に要請する中で、最終的には県が県単の「小規模急傾斜地崩壊対策事業」を活用し、保全人家1戸でも支援するという決断をし、被災者にとって明るい展望が開かれました。しかし、事業主体が市町村であるため、財政力のない市町村の中には県の50%補助の残りの一部を被災者負担(20%とか25%)とするところもあり、被災者が工事を断念せざるをえないという問題も起きています(1箇所で事業費が1000万円もかかるところもある)。やはり国の制度として確立することが強く求められています。もう一つは宅地地盤の復旧問題です。これに対する国の支援制度はいっさいありません。国・県への公的支援を求める声が広がる中で、県は復興基金で支援する制度がつくりましたが、対象が厳しく限定されています。対象拡大の要望に対し、当初の「65歳以上の高齢者で金融機関等による融資を受けることが困難な者」から、年齢制限をはずし「融資を受けられなかった旨の申立書を提出した者」と一定の改善をはかりましたが、圧倒的な被災者が対象外であることには変わりありません。宅地地盤災害に対する公的支援制度を確立することも重要課題です。
中山間地の集落再生へ 住宅と農業の一体的な再建が不可欠
国土の7割を占める中山間地は、食糧・水・空気・エネルギーの供給源であるだけでなく、国土保全という意味でも重要な役割を果たしています。中越大震災はこの中山間地を襲った地震であり、どれだけの被災者が元の集落に戻り、中山間地を守る役割を果たすかが重要課題になっています。もちろん地すべり地帯など危険なところでは集団移転もしなければなりません。しかし被災者の多くは高齢者であり、住み慣れた集落に戻り、元どおりの生活を取り戻したいという願いをもっています。こうした被災者の思いに、どれだけ寄り添った温かい支援をするかが問われています。しかし現実には、この地震を契機に半分以上の世帯が元の集落から離れざるを得ないところもかなり出ています。そこにはいろいろな要因がありますが、行政サイドの支援のあり方も問われています。たとえば住宅の自力再建が困難な被災者への罹災者公営住宅の建設問題をとっても、行政対応に重大な問題があります。今回の震災で有名になった旧山古志村(合併して長岡市に)などでは、私たちも強く要望し、元の集落単位に木造一戸建ての罹災者公営住宅を建設することになり、被災者が元の集落に戻りたいという思いに応える対策がとられてきています。それでもいろいろな事情から約700世帯のうち100世帯以上が山古志地域には戻らないといわれています。ところが市町村によっては、中山間地の集落再生という立場に立たず、町の中心部に罹災者公営住宅を建設して、そこに被災者を入居させるなど、中山間地の集落再生どころか集落の崩壊を加速させるような対応をしているところもあります。中山間地では、生業の中心である農地の復旧と営農の継続対策も大きな課題です。今回の震災で棚田や農地がズタズタになり、お金をかけてまで復旧できないとか、住宅の自力再建ができないから戻れないなど、いろいろな事情によって集落を離れざるをえない被災者が相次ぐ中で、どうやって棚田や農地を再生し維持していくか問われています。これに成功しないと耕作放棄地が生まれ中山間地の荒廃が進むことになります。そのためにも、どれだけの被災者が希望をもって元の集落にもどり、集落再生と営農に取り組めるようにするかが最大の課題となりますが、同時に集落営農の体制など集落にもどる被災者の協力体制を強めることが求められています。県は、「復興計画」で中山間地の再生を重視し、集落営農の組織化などに取り組んでいますが、地域によってこの取り組みに大きな違いがあります。私たち県災対連としても、中山間地の復旧・復興の実態をリアルにつかみ、必要な支援活動をいっそう強めたいと考えています。
被災者のために一般公営住宅の建設が求められている
自力再建ができない「全壊世帯」で公営住宅を希望する被災者には、先程述べた「建設する場所」の問題はありますが、「罹災者公営住宅」で対応することになっています。しかし「大規模半壊」「半壊」世帯で、この地震を契機に家を壊し公営住宅に入居したいという希望者への対応の問題があります。こうした方々は「罹災者公営住宅」には入れないため、一般公営住宅に入る以外にありません。しかし一般公営住宅はどこも満杯で、一年待ち、二年待ちの状況で、いつになったら入れるか見通しがありません。県災対連はこの問題を重視し、一般公営住宅への入居を希望する被災者のために、独自に一般公営住宅の建設を県や市町村に要望してきました。国の補助が罹災者公営住宅4分の3に対し、一般公営住宅は2分の1ということもあり、市町村は慎重です。その中で、長岡市が被災市町村ではじめ30戸の一般公営住宅を建設することになりました。これは大きな前進ですが、入居希望者の中にはこれまで住んでいた集落と農地から離れて移り住む被災者もいるわけで、ここでも中山間地の集落再生の立場からみるといろいろな問題を含んでいます。
 
以上は、県災対連がこの間被災者支援の立場で、特に重視し取り組んできた課題です。その多くは過去の問題ではなく、これからも引き続き重視する必要のある課題です。行政と協力するところは協力し、要望するところは要望し、いっそう力をつくしたいと思います。
 
 
震災12年目・復興住宅高齢者の今 
 
            阪神・淡路大震災被災者ネットワーク代表
                           安田秋成
 
○復興住宅は超高齢化・低所得地帯
 
 大震災から12年目に入りました。
48,300戸の仮設住宅は5年ですべて閉鎖され、25,421戸の復興住宅などに移転しました。場所は埋立地・開発地・工場跡地など都心をはずれています。
 高齢者・障害者が優先入居されたので、現在では、65歳以上が県営住宅56.6%、市営住宅で44.0%を占め、高齢単身世帯は38.0%になっています。団地によっては高齢者比率が80.0%になる所もあります。
 年収は200万円以下80.0%、その大半は月6万円から7万円の国民年金です。
 コミュニティは4回以上分断されました。復興住宅は最高33階を含む鉄筋高層が林立し、高齢者・障害者には日常生活に不安が生じ、死線をさまよう人も多数いるのです。
 
○突発的事故に即応できない
 
 04年4月3日、HAT神戸に住む前田ミカさん93歳と連絡がつかなくなり、仮設時代の「絆」で私が駆けつけました。93歳の前田さんの救出にむかうのは80歳の私です。仮設暮らしで老老助け合いが身に付きました。
 見守り推進員も、110番して呼んだ警察官もチェーンを切る権限がないといいます。隣家からベランダにまわった警官が、ベッドとガラス戸のせまい隙間に落ち込んだ前田さんの足を見つけ、ドアを叩いて呼びかけると足が動きました。「生きている」と思わず見守り推進員と手を取り合いました。 
 レスキュー隊を呼び、チェーンを切りました。異変に気づいてから救出するまで2時間かかってしまいました。3日2晩、狭い隙間にはまりこみ、苦しんでいたのです。
 前田さんは入居して7年になりますが、この団地には友人はありません。
 
○人間の尊厳が失われる
 
 04年7月29日のことです。
 灘区の復興住宅の82歳と77歳の姉妹は両人とも、多少、認知症がありました。姉が死亡したことを理解できず、妹は猛暑と悪臭の中で3週間以上も暮らしていました。
 昨年春、兵庫区キャナルタウンの復興住宅で、70数歳の母親と暮らしていたダウン症の48歳の男性は、母が倒れて死に至ったのに、なす術がわからず、2週間以上も閉じこもっていました。
 7月11日、同じ復興住宅で、植木千恵子さん81歳が孤独死しました。しっかりした精神力もあり、積極的に近所付き合いもしていました。この人の年金は月22,500円でした。家賃13,800円、共益費6,000円を払い、慎ましく暮らしていました。 7月17日、中央区筒井住宅で、精神障害のあった70歳の男性が倒れ、飲まず、食わずで2週間以上経って、脱水症で発見されました。                
 「人間の尊厳」が失われています。
 
○行政は孤独死対策で何をしたか?
 
 大きな社会問題となった仮設住宅の253名の孤独死について、当時の最高責任者の神戸市生活再建本部長は、「孤独死は神戸だけの問題ではない、日本の都市が抱える問題」と官僚的態度で自己責任を否定しました。
 そして、最大の仮設住宅、西神第7仮設(1,060戸)を例に、特定のボランティアの氏名をあげ、「見守り活動が手厚く行われ、そこでは孤独死はなかった」と、自治会や他の見守り活動に問題があるかのような記述をしています。
 西神第7の実情は、1995年9月13日、孤独死第1例、9月26日、第2例と続きました。仮設解消時までには孤独死、栄養失調死など23名になっています。
 本部長は孤独死に責任を感じていなかったのです。要請しても孤独死の現場には、ただの一度も来たことがなかったのです。
 孤独死対策について、仮設自治会との連携を拒否してきました。保健師との情報交換も出来なかったのです。結局、総合的対策を確立せぬまま、復興住宅に住民は移行され、不幸は継続されました。
 
○孤独死者は何を訴えているのか
 
 少し古くなりますが、2001年7月17日、18日にかけて衝撃的な事件がありました。4人の孤独死が次々と発見されたのです。 
 須磨区名谷駅東住宅で17日、Aさん(64歳)、Bさん(47歳)、18日、Cさん(63歳)、近くの東落合住宅でDさん(67歳)が遺体で発見されたのです。住宅は異常な雰囲気になりました。
 亡くなってから1週間以上経っており、Bさんは2カ月以上で腐乱していました。Bさんの部屋から異臭がすると1カ月前から、住民は神戸市の住宅管理課に調査を要請していました。Aさんについても「1週間見かけない」と住民が住宅管理課に強く訴え、やっと市職員と警察官が来て、遺体を発見しました。Bさんの部屋も調べてくれと住民は強引に頼みました。発見された遺体は目をそむける状態でした。
 「1カ月前に市に連絡し、その後、区役所が巡回し、あそこはおかしいと行政は気づいていたのに、その後1カ月余り何もしなかった。ひどすぎる」「遺体がほっとかされていたのかと考えると悔しくて眠れなかった」という住民の悲しい怒りを行政は受けとめたのでしょうか? 
 4人中3人は、年金給付年齢に達しておらず、失業で無収入だったのです。
食べ物はひとかけらもなく、空の酒パックがころんでいました。酒に溺れ孤独死する人の「世の中、力のないものは遅かれ、早かれつぶされるのや、酒のある間だけ、苦しいことを忘れる」寂しげなニヒルな薄笑いを忘れることが出来ません。
 HAT神戸で「仕事がない、金もない、眼も見えなくなった」と飛び降り自殺がありました。生きられなくなった人々です。
 
○住民の命を守る責任は行政にある
 
 孤独死対策、自殺対策など「対策」ではなく、「解決」のための抜本策を検討すべきであります。専門的知識と経験を持った職員を現地に配置し、LSA(ライフサポートアドバイザー)、SCS()、見守り推進員との協力体制をつくり、自治会、ボランティアを支援する総合的体制を構築すべきです。
 兵庫県・神戸市は「すべての見守りを「公」がすれば財政が破綻する。地域と分担が必要」と言いますが、高齢化社会対策に正面から立ち向かう気構えに欠けています。開発・埋立・ダム・空港建設などで財政が危機におちいった自治体はあるが、人の命を守る事業で財政が破綻したということは聞いたことがありません。
 住民の命を守る責任を持つのは、自治会やボランティアではなく、行政なのだと言うことを明確にすべきです。
 
○「人として生きたい」そのために
 
 私はかって仮設住宅自治会長をやり、最後に仮設をでました。昨年1月、震災10年目にあたり、仮設を出た143人の消息を追跡調査しました。
 孤独死10人を含む26人が死亡、家賃が払えず強制退去させられた人など消息不明11人、自宅再建12世帯、元住んでいた区の復興住宅に入居出来たのは32世帯30%、60%以上の人は元の街に帰れなかったのです。
 生活は、生きているのがやっとがほとんどでした。被災者の生活復旧は、震災前の生活にもどることです。今、復興住宅にある問題は明らかに人災というべきものです。
 私たちは人として生きたい。そして人として死んでいきたい。そのために、運動を続け、闘います。
 政府、自治体は憲法にある「国民の生存権」地方自治法にいう「住民の生命・財産を守る」「住民・滞在者の安全、健康、福祉を守る」ということを真剣に考えよ!
 震災11年、阪神・淡路大震災被災者の真実の叫びです。
                                      以上
 
 
 
 
阪神・淡路大震災11年「被災地アピール」(案)
 
 阪神・淡路大震災発生から丸11年が経過した。
 大震災10年を区切りに、被災者の実態に眼を向けることなく、国と自治体は唯一と言っていい被災者支援策を行ってきていた復興基金の打ち切りを強行した。 
 このことによって、被災者への直接的な支援の打ちきりにとどまらず、復興基金からの助成に依拠して被災者支援を進めていたNGOや、被災者支援団体の運営を困難にし、高齢者や病弱者、生活困難者などへの支援活動を、縮小せざるを得ない状況に追い込まれている。
 
 年月は経過しても、国と自治体の貧弱な被災者支援策により、「復興」・生活再建の格差は拡大し、「光」の当てられた分野の「復興」の裏側で、暮らしのサイズに合わない長田の街づくり、依然続く空き地と数多く目につく駐車場など復興施策の歪み、営業、住宅ローン、災害援護資金など各種融資返済の行き詰まり、災害公営や公団住宅入居者の家賃支払い困難者の続出、出訴、強制退去、孤独死の増加など、社会的に弱い立場の被災者を中心に一層困難は増大している。
 これらは「創造的復興」がもたらした大きな「影」である。
 
 阪神・淡路大震災発生から丸11年、この間、地球上で大型の自然災害が多発し、日本国内でも火山噴火、地震、水害、台風、雪害など自然災害が各地で発生し、昨年末には庶民のマイホームの夢を踏みにじる耐震強度偽装事件が発生した。
 被災者の連帯、全国的な支援の中で、被災者生活再建支援法の成立、改正、自治体独自制度の創設、災害救助法などの弾力的運用など、わずかづつながら被災者支援策は前進してきたが、被災者生活再建支援法の低い支給金額、適用範囲の極端な制限は改善されず、住宅本体再建助成は未だ実現せず、圧死の要因である住宅の耐震化は進まず、国のかけ声の安心・安全の制度には程遠い状況にある。
 
 こうした中で復興県民会議は、災害被災者支援と災害対策改善を求める全国連絡会(全国災対連)と共同で、全国の被災地、被災者と連帯し、被災者を励まし、被災者支援策の抜本的な拡充を求める運動に取り組んできた。
 また、10年の節目として国連防災世界会議で「生活再建」10年の到達と課題と題するシンポジウムを行い、被災者の暮らし再建、公的支援実現を一貫して取り組んでいる立場から、丸10年の現状と課題、教訓を国内外に発信した。
 また、地震、火山噴火、台風、水害など自然災害が多発する中で全国に呼びかけて、5月27日から29日まで神戸市内で「迫り来る大地震、自然災害にどう備えるか」全国フォーラムを開催し、問題点と教訓を明らかにし、今後の方向性を提起した。
   
 わずか11年前、阪神・淡路大震災被災者には、3年5カ月後に成立した被災者生活再建支援法に準じた復興基金による支援以外はなに等遡及、適用されていない。
 せめて、今の制度でも適用されていたら、どれだけ多くの被災者に希望がもたらされただろうか。政治と行政のトップの責任は極めて重い。忸怩たる思いである。
 今からでも遅くはない。私たちはすべての被災者支援策を阪神・淡路大震災被災者への適用を求める。
 
 阪神・淡路大震災被災者だから、被災者を見続けたから、全国各地の自然災害被災者や耐震強度偽装事件被害者の、痛みも、苦しみも、絶望的境地も、共有できる。
 小泉政権によって「官から民へ」「規制緩和」「改革」という名の、国の責任放棄が進められる中で、私たちは連帯して闘う以外に道はない。
 12年目を迎えた阪神・淡路大震災被災地「神戸」から全国の皆さんに呼びかける。
 居住の権利・福祉・憲法を守るために、共同の運動を一層前進させよう。
        2006年1月17日
                      阪神・淡路大震災11年メモリアル集会